大阪地方裁判所 昭和31年(タ)2号 判決 1956年11月27日
原告 奥野マツこと松村マツエ
被告 松村茂正
主文
原告と被告とを離婚する。
原、被告間の長女和子、長男雅富、次男博司の親権者を原告と定める。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告は主文第一、三項同旨の判決を求めその請求原因として原告は昭和十三年六月頃被告の最後の住所地で同人と事実上の婚姻をし同棲を続け同十六年六月三日婚姻届出をした。被告は従前から原告の兄奥野富三郎が経営する歯ブラシ製造所に雇われ仕事をして来たが、その間同十四年十二月十七日長女和子、同十七年四月二十六日長男雅富、同二十年二月七日次男博司を儲けた。ところが終戦直後被告は郷里の韓国へ帰省することを希望したので同二十年十一月頃原被告とその子供等と一緒に同国へ引揚げた。
しかし、日本の太平洋戦争敗戦後一般韓国人の対日感情は悪く引揚後も日々侮蔑され、子供等の日常生活も肩身の狭い思いをさせて同地で生活することが困難となつたので原告は子供のために日本へ帰りたいことを被告に訴えたところ同人もこれに同意したので、原告は同二十二年十一月上旬子供等三人をつれて日本へ帰国し原告肩書住所に子供等と共に居住し現在に至つている。
一方、被告はその間朝鮮動乱で所在をくらまし爾来その消息全く不明で現在に至るまでその所在は勿論生死すら不明である。そして以上の事実は民法第七百七十条第一項第二号又は第三号に該当するから被告との離婚を求めるとのべた。<証拠省略>
被告は公示送達による呼出を受けながら本件口頭弁論に出頭しない。
理由
真正に成立したと認められる甲第一、二号証(いづれも戸籍抄本)原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第三号証(被告から原告に宛てた手紙)、同第四号証(金海明作成の証明書と題する書面)に証人岸ワサの証言、原告本人尋問の結果を綜合すると原告は歯ブラシ製造を業とする奥野幸次郎方へ里子として幼時よりあづけられ成長したのであるが、同人方で職人としていた被告と知合うようになり、その後姙娠するに至つたので昭和十四年五月被告と事実上の婚姻をし同十六年六月三日婚姻の届出をなしたこと、その後原、被告間に原告主張の如く三人の子供が出生したこと、同二十一年六月頃原被告は親子共一緒に韓国に渡つたが翌年十月頃原告主張のような事情で日本内地へ帰国したこと、右帰国後二、三年後、被告から便りがあつたのを最後として被告からの音信はなく現在その行方も不明で生死すらわからないこと、原告は目下、大阪病院に看護婦として勤務し三人の子女を養育し長女和子は既に新制中学三年生となつていることをそれぞれ認めることができる。
そして法例第十六条によれば離婚の準拠法はその原因事実の発生した時における夫の本国法であるところ右認定の如く被告は昭和二十三、四年頃便りを原告宛に出して以来全く行方不明であることが明らかであるから爾後三年を経過し昭和二十六、七年当時の大韓民国の法令によるべきを相当とする。そこで右当時の法令については同国において成文法はなく朝鮮民事令に準ずる内容の慣習法が行われており、右慣習法によると配偶者の生死が三年を越える期間明らかでないときはこれを原因として離婚の訴を提起しうることが明らかであり、しかもかかる事実は我国民法の裁判上の離婚原因とせらるるところである。
従つてこれを理由として被告に対し離婚を求める原告の本訴請求は正当であるからこれを認容すべきものとする。
而して子の親権者の指定について按ずるに、婚姻関係において子の監護の問題は必然的に発生するものであつて、おおよそ右監護権は夫婦の離婚に際しては父たる夫がこれを持つか、或は、母たる妻がこれを持つかの部分と、離婚後、その扶養の程度、方法、扶養料の負担義務、履行方法など如何にするかとの部分に分けられる。前者は監護権の帰属の問題であり後者は監護自体の問題である、そして親権の指定は前者に属するものであつてこれは離婚の効力として考えられるべきものであるからこれについては法例第十六条本文によるべきを相当とするところ前記慣習法には親権者指定についての定めがあることは認められないのでかかる場合に条理に従うのが法理の順う方法である。これによれば正義と秩序、個人の尊厳と両性の本質的平等を基調として定められたわが民法の親権の指定につき定めた主旨によるが最も妥当なことと考えられるから同法第八百十九条第二項を準用することとし且つ前記認定の諸般の事情を参酌し原、被告間の長女和子、長男雅富、次男博司の親権者を原告として指定することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の如く判決する
(裁判官 乾久治 松本保三 野田栄一)